文部省発行尋常小學國語讀本巻十一
「鐵眼の一切經」
文部省発行 尋常小學國語讀本 巻十一「鐵眼の一切經」より以下引用
第二十八課 鐵眼の一切經
一切經は、佛教に関する書籍を集めたる一大叢書にして、此の教に志ある者の無二の寶として貴ぶところなり。しかも其の巻数幾千の多きに上りこれが出版は決して容易の業に非ず。されば古は、支那より渡来せるものの僅かに世に存するのみにて、学者その得がたきに苦しみたりき。
今より二百数十年前、宇治の黄檗山萬福寺に鐵眼といふ僧ありき。その一代の事業として一切經を出版せん事を思ひ立ち、如何なる困難を忍びても、ちかって此のくはだてを成就せんと、廣く各地をめぐりて資金をつのる事数年、やうやくにして之をととのふる事を得たり。鐵眼大いに喜び、將に出版に着手せんとす。
たまたま大阪に出水あり。死傷頗る多く、家を流し産を失ひて、路頭に迷ふ者數を知らず。鐵眼此の状を目撃して悲しみにたへず。つらく思うふに、「我が一切経の出版を思ひ立ちしは佛教を盛にせんが爲、佛教を盛にせんとするは、ひつきやう人を救はんが爲なり。喜捨を受けたる此の金、之を一切經の事に費すも、うゑたる人々の救助に用ふるも、帰する所は一にして二にあらず。一切経を世にひろむるはもとより必要の事なれども、人の死を救ふは更に必要なるに非ずや」と。
すなはち喜捨せる人々に其の志を告げて同意を得、資金を悉く救助の用に當てたりき。
苦心に苦心を重ねて集めたる出版費は、遂に一銭も残らずなりぬ。然れども鐵眼少しも屈せず、再び募集に着手して努力すること更に数年、効果空しからずして宿志の果さるるも近きにあらんとす。鐵眼の喜知るべきなり。
然るに、此の度は近畿地方の大飢饉起り、人々の困苦は前の出水の比に非ず。幕府は處々に救小屋を設けて救助に力を用ふれども、人々のくるしみは日々にまさりゆくばかりなり。鐵眼ここにおいて再び意を決し、喜捨せる人々に説きて出版の事業を中止し、其の資金を以て力の及ぶ限り廣く人々を救ひ、又もや一銭をも留めざるに至れり。
二度資を集めて二度散じたる鐵眼は、終に奮って第三回の募集に着手せり。鐵眼の深大なる慈悲心と、あくまで初一念をひるがへさざる熱心とは、強く人々を感動せしめしにや、喜んで寄付するもの意外に多く、此の度は製版・印刷の業着々として進みたり。かくて鉄眼が此の大事業を思ひ立ちしより十七年、即ち天和元年に至りて、一切經六千九百五十六巻の大出版は遂に完成せられたり。これ世に鐵眼版と称せらるるものにして、一切経の広く我が国に行はるるは、実に此の時よりの事なりとす。
此の版木は今も宝蔵院に保存せられ、三棟は百五十坪の倉庫に満ち満ちたり。
福田行誡かつて鐵眼の事業を感歎していくはく「鐵眼は一生に三度一切經を刊行せり」と。
以 上
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